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このときの発言について、1945年(昭和20年)大戦の終戦決定での、いわゆる"聖断"と合わせ、後年「立憲君主としての立場(一線)を超えた行為だった」「あのときはまだ若かったから」と語ったといわれている。 また、昭和天皇はときに軍部の戦略について発言することもあった。
『昭和天皇独白録』などから、上記のような行為にも示されている通り、昭和天皇自身は「開戦には、消極的であった」といわれている。牧野伸顕の指導のもと、選挙目当てでの内務省の人事異動への注意など積極的な政治関与を見せていた。