“ 王宮を占領されると、日和見主義者の高宗は、日本への態度をただちに一変させ、7月24日にも大鳥を引見し、日本が要求する内政改革案を全面的に受け入れると表明した。 そのため日本が次に提起するようになったのが、朝鮮で反乱が多発するそもそもの原因(朝鮮の封建主義体制)の除去、すなわち日清が共同で朝鮮を近代化させる内政改革を行うべきだという議論だった。 7月9日に清は小村寿太郎駐清公使に対して、朝鮮内政改革協議の一環として撤兵問題を扱うことは拒否し、即時撤兵しない限り朝鮮内政改革協議にも応じないという強硬な回答を行った。 ”