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水木(みき)はこの年深川佐賀町(さがちょう)の洋品商兵庫屋藤次郎(ひょうごやとうじろう)に再嫁した。長崎の一首と清商館の作とを此に録する。周策は後(のち)生徒の第二次募集に応じて合格し、明治十年に卒業して山梨県に赴任したが、幾(いくばく)もなく精神病に罹って罷(や)められた。抽斎歿後の第十六年は明治七年である。周策は已(すで)に二十九歳、保は僅(わずか)に十七歳である。保は喜び諾して、周策をして試験諸科を温習せしめかつこれに漢文を授けた。保はその意を解せなかったが、これを問えば周策をして師範学校に入(い)らしむる準備をなさんがためであった。